Toshi
Omagari

身近な書体:Comic Sans

20 April, 2014


久しぶりの身近な書体シリーズです。今回はComic Sansを採り上げます。

Comic Sansは1994年に作られてWindows 95(のPlusパック)に搭載されて以来、Windowsユーザーにはおなじみのフォントです。特に欧文圏ではそのカジュアルさがウケているようで、様々な場所で使われている書体です。まぁプロからすれば特に良くはない書体ですね。それどころかタイポグラファーやデザイナーの間では忌み嫌われている存在で、これの駆逐をテーマにしたウェブサイトもあるぐらいです。

(ちなみにこのサイトの運営者はカップルであり、共通の趣味、つまりComic Sans排斥で意気投合して結婚したそうです。Comic Sansの作者Vincent Connare氏は「自分の書体のおかげで夫婦が誕生したんならこんなに嬉しいことはない」と言ってます)

でも、本当にそこまで徹底的に叩かれるほど悪い書体でしょうか。まず、Comic Sansはどういう経緯で生まれたのかを説明します。

誕生秘話

1994年、MicrosoftはBobというユーザーフレンドリーなインターフェイスを開発します。我々が現在見るようなデスクトップではなく、現実の家を模した画面の中にそれぞれのアプリケーションの機能をもった小道具を置き、あたかも実物で作業しているかのような、コンピューター初心者にも受け入れられやすいソフトです(まぁ、あくまで理想の話ですが。実際は大コケして、Microsoft最大の失敗作の一つとされています)。

このBobには当初Times New Romanが使われる予定だったのですが、当時Microsoftで働いていたヴィンセント・コネア(Vincent Connare)は「それじゃぁ堅すぎる。犬はTimes New Romanで喋ったりするもんか」と急遽新しいフォントを作ることにしました。彼は手元にあったコミック、特にDark Knight ReturnsやWatchmenの書体を参考にしながら作ったそうです。数日で仕上げなければいけなかったらしく、かなりの突貫工事だったようです。これのリサーチ中にMicrosoft Bobをいろいろ調べていたのですが、実際にComic Sansが使われている画像が一個もないところを見ると、最終的にBobそのものへの採用は見送られたようです。

もともと犬が喋るフキダシに使われるようなコミカルな雰囲気の書体が目的だったので、カジュアルさが求められるような場所では重宝されるようになりました。たとえば幼稚園や小学校などです。ところが、次第にその使用範囲は広がりを見せ、病院、警察署、スーパー、教会、パブ、レストラン、果てはバチカンなど、ありとあらゆるところで使われるようになりました。本来なら看板職人にお願いすればいいような店の看板にもComic Sansが使われるようになります。

魅力の秘密

ここまで広がりを見せた原因はいくつかあると思いますが、まずはWindows 95から標準搭載されていたことが大きいでしょう。次に当時のフォントの中ではほぼComic Sansだけがカジュアルな書体だったこと(フォントメニューの偏りが大きすぎ)。そして、やはり他の書体のように整ってないことが魅力だからでしょう。私はComic Sansの人気の魅力はその「良くなさ」にあると思います。特に大人ぶっていない、カジュアルな手書き風の書体を探そうとすると、Comic Sans以外の選択肢は実はかなり少ないです。特にデザイナーにそういう書体を選ばせると、大抵はちゃんと整っちゃってる書体を提案してくるでしょう。タイポグラフィの「品質」を知ってしまうと、普通の人の日常のコミュニケーションに求められるカジュアルさを忘れてしまうのではないでしょうか。自分にとってComic Sansは、普通の人の視点を忘れてはならないと思い出させてくれる書体です。コネア氏いわく、「Comic Sansを好きという人はタイポグラフィを何も分かってない。でも嫌いだという人も分かってない」だそうです。

Comic Sansは良くないから良いのだと書きましたが、そもそもそんなに悪い書体でしょうか?スペーシングはゆったりめに整っていて、Comic Sansで組まれた長文は(読みたくないという拒否反応が出るのは別にして)ちゃんと読めます。これが他のカジュアル書体だとスペーシングはもっと不均一で文字のアップダウンも激しいか、整いすぎです。書体って、スペーシングさえ良ければ意外と読めてしまうものです(いやホント、これはカジュアルフォントのカテゴリーを良く見たらまだ整ってる方ですってば)。

また「我こそはComic Sansよりマシなカジュアル書体を作れる!」という方は、同条件でデザインしてみて下さい。すなわち96dpiの白黒レンダリング(グレイスケールもサブピクセルレンダリングもなし)で、どのサイズでもしっかりヒンティングされていて綺麗に表示される上にカジュアルという条件です。

Comic Sansの「醜悪さ」が話題に上がるとき、大抵はこのことが忘れられています。このような低解像度下でも一定の表示品質を保ったままカジュアルにするのは簡単ではないと思います。(Image borrowed from Nick Sherman)

長々とComic Sansを擁護する長文を書いたわけですが、それでも個人的にはやはり使いませんし、街の中で見つけた時にもやっぱり反射的にゲンナリします。しかしどんな書体にも面白いストーリーがあり、それを知ってしまうと無下に叩いたりは出来なくなるもので、特に嫌いな書体ではなくなりました。ちゃんと使い道のある楽しい書体であることは間違いありません。Comic Sansはここ最近になって「嫌いだ」と公言するのが流行になってしまったようで、嫌われ者書体のナンバーワンとなっていますが、これは不当な評価だと思います。もちろん不当に使われすぎているからこその評価だとは思いますが…。特に自分が手書き書体を多く作るデザイナーだったら、尚のことComic Sansを目の敵にするでしょうね。

会話が途切れる瞬間。いつもの自分はこんな感じです。



Comic Sansのいま

Windowsに多彩な書体が搭載されるようになり、Comic Sansの使用頻度は少しずつ減少傾向にあるのではないかと思います。特にVistaで搭載されたClearTypeフォントの中のCalibriとCandaraの二つが、ArialとComic Sans一辺倒だった状況を変えつつあります。やはりWindowsにより代替書体を搭載させるのが一番効果的でしょうね。

余談1:Comic Neue

ところで最近、Comic Sansを綺麗に描き直したComic Neueというフリーフォントがリリースましたが(Comic Sansとは無関係)、コネア氏いわく「カジュアルさが足りない」そうです。自分も同意見で、Comic Sansが好かれている理由を弱めて何がしたいんだ?というのが正直な感想です。

やるんだったらComic Sansの長所(ええ、長所ですとも)はそのままに機能性を拡張したいところですね。というわけで、2011年にMonotypeはイタリック、ギリシャ文字、キリル文字、オールドスタイル数字、スワッシュなど様々な追加を施したComic Sans Proをリリースしました(PDF)。ちょうど4月1日に発表したこともあり、一時はジョークと思われていましたが、やがて本気だったことが伝わると更にニュースが広がり、2011年のエイプリルフールで最も採り上げられたニュースの一つになりました。

ちなみに2014年はCernがComic Sansを全面採用するというエイプリルフールニュースを出してましたね。残念ながらもう書体は元に戻ってますが。

余談2:Comic Sansはディスレクシアの味方?

世の中にはディスレクシア、つまり読書障害というものがあります。症状としては書いてある文字と意味とを正しく結びつけられなかったり(例えばAとaが同じ、5とfiveが同じだと認識できない)、文字が回転して見えたり鏡像に見えたり歪んで見えたりなど症状は様々で一般化は難しいのですが、活字書体、特に特徴の違いの少ないサンセリフ書体を読むのに困難を覚えると一般的に言われています(たとえばb d p q の区別がつかない)。なのでディスレクシア持ちの人に向けたテキストには通常と違う尺度で書体を選ばなければいけないのですが、Comic Sansは一つ一つの文字の形がみなバラバラで特徴があるため、認識されやすいとされています。重ねて言いますがディスレクシアの症状は多岐に渡るので一概には言えませんが、Comic Sansが好まれる傾向があるのは確かです。もっとも、Comic Sansより最適な書体はあるかもしれませんし、実際にディスレクシア専用の書体はよく作られていますが(OpenDyslexicDyslexieSylexiad)。これらの書体を醜悪だと批判するデザイナーもいますが、それはいくらなんでも論点がズレていると思います。