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活字職人の別の顔

24 May, 2013

時として書体デザイナー、または金属活字時代のパンチカッター(活字父型彫刻師)は文字を作るだけでなく、全く違う職に就いていたり、副業を持っていました。今回は活字職人たちの二足目のわらじを追ってみたいと思います。「グラフィックデザイナー兼書体デザイナー」みたいに関連性のある兼業は今だと多いとは思いますが、そういうの少なめで、意外性の高いもの、またはエピソードを選んでます。また今回、書体の画像は少なめです(書体がメインテーマではないので)。

 

初期の活字父型彫刻師

グーテンベルクがヨーロッパで活版印刷を始めたころは当然ながら金属活字を作る職人などいませんでした。グーテンベルクは自身が金細工彫刻師であったか、またはそのギルドに繋がりがあり、金属で何でも作れる人々が身近にいました。彼等は食器や刃物、武器などあらゆる物を作っており、活字を見たことがないとは言え、注文通りに父型を作ること自体には特に苦労はなかったようです。彼らにとって活字父型彫刻はサイドビジネスでした。その後徐々に活版印刷が広まり活字の需要が増すと、そちらを専業にする者も現れます。

その一例がフランス人の印刷家、ニコラ・ジェンソンです。ジェンソンは造幣局でコインの彫刻師として働いていましたが(当然文字も彫っていた)、時の王シャルル七世より、グーテンベルクの印刷工房に弟子入りして活版印刷を学び、フランスに持ち帰るように命じられます。ところがシャルル七世の逝去により命令を果たす義理が無くなったので、ヴェネツィアに赴いて活版印刷工房を始めました。彼の書体は最初期のローマン体の一つであり、現在でもAdobe JensonCentaurITC Golden Typeなど様々な解釈で復刻されています。

また英国の印刷家ウィリアム・カズロンも活字彫刻を始めるまでは銃や樽のエンブレムを彫る名手でした。こういった例は枚挙に遑がないでしょう。

 

漆職人

英国のバーミンガムで活躍したジョン・バスカーヴィルは書字の教師、石彫り職人など、文字に関係する仕事を若いころから営んでおり、その下地を元に44歳で活版印刷を始めるのですが、そのとき彼は既にあるビジネスで財を成していました。ジャパニングです。

ジャパニングとは簡単に言えばアジア、特に日本の漆製品の模造であり、バスカーヴィルはこれの名手でした。そのおかげで彼は印刷を始めるころにはすっかり地元の有名人となっていました。バーミンガムの中心地には彼の建てたジャパニング御殿とでもいうべき建物が残っており、現在はバスカーヴィル・ハウスと呼ばれ観光名所の一つにもなっています。彼の本は上品でたいへん印刷品質が高く、当時の同業者からは「金持ちの道楽」と妬まれていましたが、バーミンガム以外の地では腕利きの印刷家として素直に受け入れられていました(ちなみにバスカーヴィル自身は活字を彫っておらず、直接の製作者はジョン・ハンディという父型彫刻師です)。

バーミンガムではバスカーヴィル協会が彼をテーマにしたカンファレンスを毎年開いています。私は今年が初参加だったのですが、てっきり会場は文字オタクだらけかと思ったらむしろ小数派で、地元の名士、ジャパニングの名手としてのバスカーヴィルに興味のある人間の方が多かったことに驚きました。また彼はルナー・ソサイエティを通してワット、プリーストリ、ラボアジェ、ベン・フランクリンなど歴史の教科書に出てくるような有名人たちとも親交があったと伝えられています。実際彼がここで何をしていたかは不明ですが。

 

医師、チョコレート職人

バスカーヴィルは以降の同業者に大きな影響を与え、各地で彼の活字が模刻されるようになりました。その中でも特に有名なのがジョゼフ・フライとエドムンド・フライの「フライ兄弟のバスカーヴィル」です。フライのバスカーヴィルは元のデザインよりも細かいディテールが多く、とても表情豊かで、どちらかと言えば見出し用途に向いています。後にスコットランドの鋳造所ステファンソン・ブレイクに売却そして使用され、現在は父型と母型がロンドンのタイプアーカイブに残されています。またアメリカではモリス・フラー・ベントンがATF Baskervilleとしてこれを復刻しています。フライ版はバスカーヴィル本人の作ではないものの、単なる模倣に終わらずユニークな表情を持ったもう一つのバスカーヴィルとして今日でも親しまれている書体です。現在でもBaskervilleという書体には大きく二つのグループがあり、片方にはジョン・バスカーヴィルを復刻したもの(Monotype Baskerville, ITC New Baskerville, Linotype Baskerville, Baskerville Original Proなど)、他方にはフライのバスカーヴィル(Fry’s Baskerville, Baskerville Old Face, Open Baskervilleなど)があります。

フライのバスカーヴィル。特にa, g, Qがオリジナルと劇的に違う。

参考までにMonotype Baskerville

さて、ジョゼフ・フライもまた変わった副業がありました。チョコレート作りです。彼はもともと医師になるよう教育を受けたのですが、後に親の期待を裏切ってかブリストルにチョコレート製造会社を設立し、さらにはバスカーヴィルの印刷に感銘を受けて活字鋳造所も始めます。飽きっぽい人だったんでしょうか。ちなみにジョゼフ・フライの鋳造所を受け継いだ兄のエドムンドも元々は医師でした。

フライ家はその後、鋳造所の家系とチョコレート工場の家系に別れていき、どちらもそれぞれの分野で注目に値する功績を成し遂げます。活字製造については既に説明しましたが、後者においては、フライ家は1847年に世界で初めてチョコレートの固形化に成功しています。それまでのチョコレートは飲み物であり、いま人々がチョコレートを「食べられる」のはフライ家のおかげです。1980年代には商売敵であったキャドバリー家に吸収されてしまいましたが、現在でもフライのチョコレートはキャドバリーのブランドから販売されています。

Fry Chocolate ad

フライのチョコレートの広告

fry chocolate cream bar

現在販売されているフライのチョコレートの一つ。オレンジ味とペパーミント味もあります。リクムをチョコレートでコーティングしたFry’s Turkish delightという変わり種もありますが、私はお勧めしません。

 

マリオネット職人

ウィリアム・アディソン・ドゥイギンズは日本ではあまり知られていない活字デザイナーですが、20世紀アメリカで主にライノタイプ機向けの書体をリリースして活躍した、有名な書体デザイナーの一人です。彼の書体にはMetroElectraCaledoniaなどがあります。ドゥイギンズの副業は劇場用マリオネットの製造でした(これは書体デザインと併行して生涯続けられました)。また彼はカリグラファー、イラストレーター、ブックデザイナー、エッセイストなど様々な顔を持つ人物でした。「グラフィックデザイナー」という言葉を初めて使った人物としても知られます。

バスカーヴィルと同様に、ドゥイギンズもまた書体デザイナー以外の経歴が有名な人物の一人です。私が書体デザインを学んだレディング大学の先生の一人であり書体デザイナーのヘーラルト・ウンガーさんはその昔、ドゥイギンズの調査にある図書館に訪れたのですが(ボストン公立図書館だったような)、そこで「ドゥイギンズのマリオネット作りについての本」をカウンターでリクエストする女性に出会ったそうです。ウンガーさんはすかさず「ドゥイギンズがマリオネットを作ってた?そんなバカな」と言ったそうですが、その女性は「彼が他に何で有名なの?」と返してきたそうです。果たして二人の頭に思い描くドゥイギンズは同一人物でした。

ドゥイギンズと自身を模したマリオネット。

書体デザインの世界では、ドゥイギンズはマリオネット作りで得た経験を書体に応用したことで有名です。彼はマリオネットを作るうち、舞台上で演技しているマリオネットは客席からだと小さくしか見えないため、普通に人間の顔を彫ってもあまり効果的でないことに気付きました。そこで劇場の照明をうまくキャッチし、表情豊かに見せるために彫りを深く、デフォルメすることを思い付きました(ちなみに彼は自分の劇場を持っていました)。このことを書体デザインにも活かせると考えたドゥイギンズは、その手法に「Mフォーミュラ」と名付け(Mはもちろんマリオネット)、カリグラフィ的な字形の発想に縛られずに必要な場所をどんどんデフォルメし、独自の視点で視認性、可読性を追求し始めました。もっと簡単に言えば「書くことと読むことは違う」ということでもあります。この考え方は後世の書体デザイナーたちに大きな影響を与えます。

ドゥイギンズのマリオネット。大胆な面取りが特徴。

 

ElectraのgとCaledoniaのn。どちらも白いスペースを最大限確保するために、ペンで通常できる形を無視して内側(特に両者の右上)を大きくえぐっている。

ElectraのgとCaledoniaのn。どちらも白いスペースを最大限確保するために、ペンで通常できる形を無視して内側(特に両者の右上)を大きくえぐっている。

ちょっと宣伝ですが、ドゥイギンズが最初にデザインした書体「Metro」の改刻版、Metro Novaが間もなく発売されますので、リリースされたら是非チェックしてみてください。これについてはまた別の機会にブログ記事を書きます。

 

ポスター作家

お次はフランスで活躍したポスター作家、カッサンドルです。ポスターなので書体と近すぎますし実際本題からは結構外れるのですが、まぁここまで読んだからには付き合ってやってください。

カッサンドルはNord ExpressやNormandieなど数多くの名作ポスターやYves Saint Laurentのロゴを手がけていますが、その一方でパリのドゥベルニ&ペニョー鋳造所からBifurやPeignotなどの書体をリリースしています。晩年は徐々に鬱になっていき、最終的には拳銃自殺で生涯を閉じますが、このとき彼のデスクにはドゥベルニ&ペニョー鋳造所からの、彼の新作書体の不採用の知らせの手紙が置かれていたそうで、これが絶望の淵からの最後の一押しとなってしまったのではないかと言われています。カッサンドルが書体デザイナーとしても活動していたこと、書体が最終的な原因となって自殺した(と思しい)ことはあまり知られてないのではないでしょうか。いくら文字が好きでも、文字が原因で死ぬなんてみっともないことはないよ、と前述のウンガーさんは言います。

うん、やっぱりイマイチ関係ない。

 

ジャズ・パーカッショニスト

主にITCで600を超える書体(Bookman, Avant Garde, Souvenir, Benguiat)を作ったデザイナー、エド・ベンギアトは若い頃はジャズ・パーカッションとしてスタン・ケントンウディ・ハーマンなどのバンドで活動していました。あるインタビューの中で彼は「ある日音楽家組合に会費を払いに行ったときに、ユダヤ教の成人式やギリシャ人の結婚式の演奏をやる年老いた連中がいた。いずれ自分もこうなるという気がして、イラストレーターになろうと決めた」と語っていました。その後紆余曲折があって書体デザイナーになるのですが、現在でも「演奏で女の子を簡単に掻き集められる」ほど上手いそうです。また彼は同じインタビューで「音楽とは音をうまく並べて心地よく聞こえるようにするものだ。デザインは視覚を使って全く同じことをやる。それが自分にとっての音楽とデザインとの繋がり」だと語っています。そんな格好いいことを言える大人になりたいもんです。

 

以上、活字職人たちの副業、前歴でした。それなりに近い背景を持っている人もいれば、フライやベンギアトのように完全に違う畑から飛び込んできた人もいます。また面白いことに、年齢を重ねてから活字を始めた人も多いようです。ジェンソンは50歳で印刷所を設立、バスカーヴィルは44歳、フライは36歳、ドゥイギンズも50歳で処女作です。人生なんて変えようと思えばいつでもどこからでも変えられるもんですね。たぶん教訓らしいことといえばそれぐらいです。他にも書体デザイナーの意外な副業を知っている方がいましたらぜひ教えてください。

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