Toshi
Omagari

続・身近な書体:Arial

09 March, 2013


いよいよお待ちかね、Arial誕生秘話の後編です。前回は何故Arialが作られたのか(why)について説明しましたが、今回のテーマはどうやって作られたか(how)で、さらに書体デザイン寄りの話になっていきます。頑張って説明はしますが、かなりテクニカルな話だと思いますので途中で諦めていただいて構いません。まだ前編を読んでいない方はこちらからどうぞ。

IBMは最初の業務用レーザープリンタ「3800」の後継機、「3800-3」を作るにあたって、タイポグラフィを改善することを決めました。初号機の解像度は144dipで、書体は一応選べたものの全て等幅で、サイズも最大3段階からしか選べませんでした。3800-3では解像度が240dpiになり、良質の書体を搭載し、サイズの選択肢も増やすことが次の課題となりました(前編で初号機の解像度が240dpiであるかのような書き方をしてしまいました。ここでお詫び致します)。そこでIBMはMonotypeに書体開発を依頼します。最初の要件はどうだったか分かりませんが、最終的には以下のような仕様になりました。

  • Sonoran Serif、Sans Serif、Display、Petiteの四書体。
  • SerifはTimes New Romanベース、SansはHelveticaベースだがMonotypeの所有する書体ではないのでデザインが微妙に異なる新規書体。DisplayはOld Englishベース、Petiteは新規。
  • SansとSerifはRegular、Italic、Bold、Bold Italicの4スタイルで、DisplayとPetiteは1スタイル。
  • 書体はすべてビットマップで納品(アウトラインは非搭載)。
  • フォントサイズは無段階に変更できるわけではない。特定のサイズごとに専用のビットマップを描く。
  • SerifとSansのサイズは以下の14段階(6, 7, 8, 9, 10, 11, 12, 14, 16, 18, 20, 24, 30, 36ポイント)、Displayは20, 36ポイントの2段階、Petiteは4ポイントのみの1段階
  • 各書体の字数は238。

IBM 3800-3の印刷解像度は240dpiなので、12ポイントのビットマップは縦40ピクセルとなります(アクセント用のスペース込みで)。最小サイズであるSonoran Petiteの4ptでは14ピクセルしか使えません(さすがにPetiteにはアクセント無し)。

上からSerif 16ポイント、Sans 16ポイント、Display 20ポイント、Petite 4ポイント

出力先に特化したデザイン

ビットマップを描くと言っても、最終の出力先はプリンタです。デジタル画面やオフセット印刷のようにドットが完全に視認できるようなものではなく、粉末であるトナーを用いた出力なので、輪郭の形はどうしても曖昧になります。Sonoranシリーズではこの特徴を逆手に取って、輪郭はドットを間引きしてグラデーションのようにしたそうです。残念ながらその図は残っていないのですが、考え方を図解すると以下の通りになります。

ドットの階段を和らげるため、斜め線や曲線の点を間引きする手法(右が作業後)

低解像度のレーザープリンタで印刷すると右の方が綺麗に見えるのだそうです。ビットマップ原図を見せられればそれが一番いいのですが、あいにく残っていないので上の図で勘弁してください。

これも理屈通りに置いただけでは思った通りに出力されず、1ドットごとの微調整に相当な時間を費やしたそうです(プロジェクトの最終段階になるとロビンはソノラ砂漠近くのIBMに出張して現場で微調整を繰り返したとのこと)。先に挙げたオフセットやデジタル画面など精度が高すぎる方式で出力するとドットのグラデーションは煩わしく見えるだけですが、レーザープリンタ専用書体だからこそできた技です。今となっては無用の技術だとは思いますが、ただドットを打つだけでもこれだけの職人技があったんですね。今回の取材で最も感心した部分です。

Sonoranシリーズ見本

こちらが各書体の見本となります。全部載せても仕方がないので、ウエイト違いや記号だけのフォントなどは割愛しています。特に初号機搭載のフォントは実はもっとあるんですが、ほとんど同じだったり打ち消し線が入っているだけの物が延々とあるので省略。各サムネールをクリックすると巨大な画像が開きますので、ご自由に観察なさってください。

まずSansで面白いのは、acegsなどのカットが完全な水平垂直なので、さらにHelveticaに近い見た目になっているということです。eはどうやら最大サイズでのみ斜めカットのようですが。ItalicとBold Italicは割愛。

SerifでもSansでもサイズごとのデザイン差が非常に大きいことが分かりますが、Serifでは特に顕著だと思います。小サイズになるとスペーシングが広がり、線幅のコントラストが減り、xハイトも大きくなり、6ポイントでもちゃんと読めます(このような姿のTimes New Romanを見るのはなかなか新鮮です)。BoldとBold Italic割愛。

なかでも個人的に一番興味深いのはPetiteです。上に書いたようにこれはたった14ピクセルのデザインで、しかもレーザープリンタ出力なので更に粗くなります(ただし上でも触れたように、他の書体と違って上下のスペースの確保のためアクセント付き文字を含んでいません)。それでもここまでの視認性を得られるというのは驚きです。iとjのドットを置くためにステムを少し短くしてあるのは賢いですね。

また3800-3には初号機からの書体も搭載されています(おそらくIBM内製)。等幅のスペースにペセタの通貨記号(Pts)を収めるためにPとtが合体したようなデザインになっているなど、苦心の跡が見えます。Çとçはセディーユのスペース確保のため若干浮き上がってます。またScriptのデザインは秀逸ですね。等幅にしては良く出来ていると思います。これのビットマップデータは見てみたい…。

プロジェクトの勘定

Sonoranプロジェクトでは1ビットマップにつき数ドルと単価を設定し、ビットマップ単位での歩合で支払われたそうです。ここでいう1ビットマップとはある1サイズの1字のことです。まぁ、後はご自分で計算なさってください…。

以上でArialの話についてはおしまいです。知ってることはたぶん全部吐き出しました。Arialのようなありふれた書体でも、しゃぶり尽くせばここまで味が出るということは分かっていただけたかと思います。 まぁ使えとは言いませんが…。