Toshi
Omagari

身近な書体: Arial

03 September, 2012


今回取り上げる身近な書体はみんな知ってるのにみんな知らない書体、Arialです。タイポグラフィを志す人、少しでもかじったことのある人、もっと言えばフォントメニューを開いたことがある人なら必ず目にしたことがあるでしょう。なにせAで始まりますので、メニューのかなり上に来ますしね。

ArialはよくHelveticaと間違われやすいですし、Helveticaがないときに代替として使われる書体でもあります。事実Arialは見た目がHelveticaっぽくなるように作られたものですし、ArialはHelveticaの字幅と完全に一致するように作られています。欧米のタイポグラフィ界ではArialの使用はすなわち「Helveticaの不使用」という書体選択における妥協または無頓着を表しているように見られますし、僕も大筋では同意します。Helveticaは標準だとMacにしか入っておらず、WindowsのユーザーはHelveticaを買わない限りはArialしか選択肢がないので、Arialを使うデザイナーはタイポグラフィに金をかけない人間(要するに半人前)であるということも言えます。Webサイトで互換性確保のためなど、絶対必要な状況がない限り使わなくてよい書体と言って差し支えないでしょう。

しかしそれ以前に、私たちはArialのことをどれだけ知っているのでしょうか。なんと発音するか知っていますか?いつ誰がどういう経緯で作ったのか、なぜ今よく使われているのか、考えてみれば疑問だらけではありませんか?現在僕はArialのチーフデザイナーであるロビン・ニコラスと同じ職場で働いておりますので、これを好機として徹底的にArialを調べ上げることにしました。飲み会で語ったらドン引きされること間違いなしの情報量でお届けしたいと思います。

発音問題

それではまず、みんなが気になるArialの発音問題から取り上げましょう。ものの調べ(1、2)によると日本では「アライアル」という読みがほぼ45%でトップという結果が出ていますが、これは確実な間違いです。それに対して正解はなんと「決まってない」なのですが、「エイリアル、エリアル、エーリアル、アリアル、アーリアル」という許容範囲はあります。なぜ一つの正解が存在しないかというと、まずスペルありきだったからです。書体の名前は商標登録をするのがほぼ当たり前ですが、その際にはなるべく一般的でない名前の方が後々トラブルが少なくて済みます。既存商標を調べて名前を決めるよりは造語を作った方が楽なのです(これは書体に限ったことではありません)。そこでMonotypeはaerialからeを抜いてArialとしました(いくら元の単語がaerialとはいえeが抜けると同じ発音にはならないので、エアリアルもまた不正解となります)。これが引き起こした混乱はかなり早くから見られました。Arialは10人のチームで作られた書体ですが、なんとチーム内ですらも「エイリアル」や「アリアル」などが共存していたそうです。僕の元上司でありチームの長であったロビン・ニコラスは「エイリアル」と呼んでおり、同じくチームの一人であったパトリシア・ソーンダースは「アーリアル」と呼んでいたそうですが、僕はロビンの読みに倣っています(aliasと同じ母音の読み方)。少なくとも英語圏ではエイリアルやエーリアルが一番通りますが、アリアルと発音してもなんら恥ずかしいものではありませんし、Aをそのまま「ア」と読むフランス語やドイツ語ではむしろそっちの方が普通でしょう。

結論は、「最初のAにはブレがあるがrialはほぼリアルのみ。英語圏ではエイリアルという発音を一番聞く。」です。

TypeTalks第10回のスライドより、日本でArialがどう呼ばれているかの統計の一つ。アライアル、アリエル、エアリアル以外は正解の範囲。アリエルはディズニーの人魚姫と混同してるだけなのでは…。Petitboysさんに許可をいただいて転載しています。



レーザープリンタのための書体

さて、それではArialがいかに生まれたかを見ていきましょう。1975年にIBMは最初の業務用レーザープリンタ「3800」をリリースしましたが、その初期モデルに搭載されていた書体はタイプライター由来の字幅固定のものばかりでした。ちなみに一般家庭用冷蔵庫を5個並べたほどの大きさで解像度は144dpiという代物です。これのバージョンアップ機「3800-3」をリリースするにあたりIBMは字幅がプロポーショナルであるTimes New RomanとHelveticaの二書体を搭載するためMonotypeに接触します。Helveticaを所有していなかったMonotypeは、IBMにHelveticaに替わるカスタム書体の製作を提案、これが許可されてArialプロジェクトがスタートしました。ちなみにHelveticaを持っていれば話は楽だったかというとそうではなく、どのみち3800-3用にビットマップデータを新規に書き起こすことになっていましたので、いずれにせよ書体の新規製作と同等の作業量は必要だったのです。これについては後編にて解説します。(2013/3/9訂正:3800の解像度は240dpiと書いていましたが、正しくは3800初号機が144dpi、3800-3が240dpiでした。)

世界初の業務用レーザープリンタ、IBM 3800。印刷スピードはそこそこ早かったとか。

こうして1982年に生まれた新しいサンセリフ体ArialはIBMのプリンタではSonoran Sans Serifという名前で搭載されました。アリゾナ州のIBM Tusconの目の前にあるソノラ砂漠にちなんで付けられた名前です¹。Times New RomanはSonoran Serif、他にも搭載されたプロポーショナル書体はどれもSonoranで始まる名前です(このプロジェクトはMonotypeにとっては相当な儲け話であり、IBMに独自の名前を使わせるぐらいはあっさり認めたそうです)。その後にMonotypeは、同様のニーズを持つ顧客にHelveticaの安価な代替書体という魅力をより明確にアピールするためにArialを完全にHelveticaと同じ幅に設定しました(1989年完成にPostScript版が完成)。これに乗った顧客の中で最も有名なのがMicrosoftです²。1990年にWindows3.0にTrueTypeフォントとして搭載されたArialはその後OSの普及とともに爆発的に使用頻度を増していき、1996年にはコアフォント(インターネット用の標準フォントパック)に指定され、今ではVerdanaやGeorgiaなどとともにWebページ上でMacでもWindowsでも確実に表示できる書体の一つとなっています。

*¹ 以前Lucidaの回でSonranと記載していましたが、正しくはSonoranです。失礼致しました。

*² このことを例に「Helveticaのライセンス料をケチったからMicrosoftはArialを搭載した。Microsoftはタイポグラフィへの関心が薄い」といわれることが多いのですが、これは違います。最終的にはWindows用のArialの開発、ライセンスにMicrosoftが投じた予算は小国を賄えるほどだったそうです(それでもHelveticaで同じことをやるよりは安かったのかもしれませんが)。何にせよArialが現在かくも人気なのは偏にMicrosoftの手厚いサポートのおかげです。

類似の星に生まれた書体?

何度も触れているようにArialはHelveticaに似ていますし、事実「似るために」生まれてきた書体です。しかし細部を見ればHelveticaとの明らかな違いがあり、そこにはHelveticaとはやや異なる設計思想が隠れています。ロビン・ニコラスは2005年にMac Userのインタビューでされた「お金のためにどこまで芸術家としての信念を曲げられますか」というかなり単刀直入な質問に対し、こう答えています。「大きな組織と動いているときには、自分の信念を通すのが非常に困難です。デザイナーとして私が絶対に譲れない最低限の部分は、そのデザインが法的な問題をクリアするということ、つまり誰かのデザインの明らかな借用を避けるということです。」

このようにArial制作にあたってはHelveticaから大きくは離れられないというデザイン上の制限が強かったようですが、Monotypeの出した答えは、1926年に作られたMonotype Grotesqueをベースとすることでした。ArialはHelveticaに似るために変形されたMonotype Grotesqueと表現するのが最も適切でしょう。Helveticaに見られないeやsの斜めの切り口や尖ったt、矢印形になっていないGなどは全てMonotype Grotesqueに由来するものであり、どこぞのインターネット百科事典が指摘するUniversとの類似点は完全な的外れです(ついでに言えばSwiss721への言及も的外れ)。余談ですがMonotype Grotesqueは2012年にリデザインされ、Classic Grotesqueとして販売されています。

ArialとHelveticaが違う点はもう一つあります。微細な差ではありますが、ArialはHelveticaより広いカウンター、またレタースペース(字と字の間のスペース)を擁しています。Arialを大きく組むとHelveticaに比べてどことなく締まりがない印象がありますが、この理由の一つにArialのスペースの取り方が緩め、すなわち(低解像度の)本文組版により適したものになっているからというのがあります。240dpiのレーザープリンタのために作られた書体だったことを思い出してください。Helveticaと同じ字幅で緩めのスペーシングをするため、当然どの文字も少しだけ狭め、また線幅が細めになっています。よ〜く見比べると、Arialの組版濃度が若干明るめになります。本当に小さな差なのですが、ここにもまたHelveticaとは違う制作意図が潜んでいます。

HelveticaとArialを重ねた図。共通部分は白で抜いています。黒のHelveticaの面積の方がより大きいことから、すなわち線も太めで組版濃度もやや濃くなることが分かります。



Arialの価値

ここまで色々書きましたが、やはりどうしてもデザインそのものと「Helveticaの代替」というArialの背景は簡単には分けることが出来ません。一般的にはその背景をもってArialを悪とする論調が目立つ欧文タイポグラフィ界ではありますし、Arialを使えば嘲笑されるのがオチですが、造形そのものは決して悪いわけではないと思います。Helveticaの字幅が同じという点を除けば、Helveticaとはまた別のグロテスク体であり、特有の形があります。いつの日かHelveticaの足枷から解き放たれてArialがリデザインされることがあれば、そのときに改めて再評価すればいいのではないかと思います。そんな日が来るまでは、Arialはあえて使う必要はない書体と言っていいでしょう。

しかしArialは絶対的に役立たずかというと、そうは思いません。上に書いた通り、あくまで理論上なうえ紙一重ではありますが、ArialはHelveticaより本文組みに向いています。文章組みでHelveticaかArialのどちらかを使いたい場合にArialを選ぶのは間違っていない、というよりArialの方が理に適っているのではと思います。Webページの書体指定ではよくHelveticaが最優先、Arialが二番手と設定することが多いようですが、本文に限れば逆の方が良いんじゃないの?と思います(そもそもHelveticaもArialもそんなに良くない!という話はさておき)。

ここでCMさせてもらいますが、Helveticaの本文組版についてはもっと優れた代替があります。まずは若干ながら字幅が広まり本文向けに改良がなされたNeue Helvetica。次にHelveticaのリデザイン書体であり2011年にFont Bureauから発売されたNeue Haas Grotesqueにはディスプレイ用と本文用があり、この本文用はArialよりも緩めのスペーシングが施されています。さらには現在Webフォントのみでの供給になりますが、LinotypeはNeue Helvetica eTextという電子画面の本文サイズ専用のHelveticaをリリースしており、今あるHelveticaの中では最もゆったりしたスペーシング設定になっています。ぜひとも使用を検討してみてください。

また上でも触れましたが、Arialの元となったMonotype GrotesqueもリデザインされてClassic Grotesqueという名前で販売されています。新たに前文字が描き直されているほか、ウエイトやイタリックの展開がバラバラだったファミリー構成が大幅に見直されています。

今ある主要なHelveticaをスペーシングのキツい順(本文組版に向かない順)に上から並べてみました。NHG Textが印刷物とスクリーン兼用、Neue Helvetica eTextがスクリーン専用として本文に最適である以外、残りの三つはドングリの背比べ的な印象。

Monotypeに就職するまではArialは大嫌いな書体だったのですが、制作者のもとで働き、制作背景を勉強するにつけ、「Arial是即悪」とバッサリ切り捨てるのがとても忍びなくなりました。今ではArialへの思いが複雑化しています(良いことです)。上の文章でも褒めてるのか貶してるのかよく分からない部分が多々あったと思いますが、それはまさに複雑な気持ちが右に行ったり左に行ったりしながら言葉が綴られた結果であります。使う必要はないとは言いましたが、学べることは沢山あります。 後半ではIBM-3800に搭載されていた書体の見本を中心に、Arialの制作背景を更に掘り下げていく予定です。お楽しみに!

参考文献

Haley, Alan. Is Arial dead yet?
Monotype Twenty (Reprinted from Macuser 8 July 2005)
en.wikipedia.com/Arial
jp.wikipedia.com/Arial
ロビン・ニコラスとの会話(音声記録なし)